2025年4月14日に行われた日本庭園学会のオンラインセミナーで、「庭園における高木管理」というテーマでお話しする機会をいただきました。

もともと高木の剪定や伐採技術について話す予定だったのですが、
学会の担当の方から「美的な剪定についても、ぜひ触れてほしい」というリクエストがありました。

たしかに、高木作業の技術だけであれば、他にも専門家はたくさんいらっしゃるので、僕じゃなくてもいいよな…なんて考えてました。


でも、“美”という観点で語るなら、自分なりの言葉で届けられることがあるかもしれない――

そう思いながら準備を進めていました。
その中で、何度も立ち返ることになったのが、

「木の美しさをどう共有するか?」という問いでした。
美しい剪定という前に、樹木の美しさについて、もう一度確認しておかないといけなかったからです。https://masakiyoshioka.com/2020/08/26/木の美しさって何?について考えた%E3%80%82/

このブログでは、以前書いた**樹木の美しさについて**の考えをおさらいしながら、そんな中浮かび上がっきた新たな視点についてまとめてみました。

剪定技術の話ではなく、木の前に立ったときにふと感じる、

**“なんか、いいなあ”**という感覚の正体について。
そして、日本庭園における剪定の役割や高木との違いについて。

少し遠回りになるかもしれませんが、どうぞ気楽にお付き合いください。

【木の美しさって、なんだろう】

木を見て「なんか、いいなあ」って思うこと、あるんですよね。
ただそれがどこに、どう、響いてるのかってなると、うまく言葉にできなかったりする。

この枝ぶり、なんか気になるな。
でもよく見るとバランス悪くて、ちょっと怖いかも……とか。

なんだかこう、美しさと危うさって、木の中で同居してる感じ。
それがまた“木っぽさ”なんだけどね。


■ 美しさには“構造”がある…気がする

木が美しく見えるときって、ただ整ってるから…ってわけでもないんですよね。なんかこう、構造として説得力があるっていうか。見た目の「きれい」じゃなくて、「納得」できる美しさ、みたいな。

たとえば、テーパー構造

幹が根元からだんだん細くなっていく、あのスッとした感じ。
「あ、この木、ちゃんとしてるな」って、無意識に思わせる説得力がある。

それから、フラクタル構造

枝がまた枝を生み、さらにその先に枝があって……っていう、自己相似的な世界。
こういうのって、人間はなんか落ち着くと思うんだよね。特に日本人は、
DNAに刻まれてたりするのかも。

で、最後に痕跡の美しさ

枝が折れた跡とか、剪定の切り口とか、幹のねじれとか――樹木医的な視点だと、そういった資格情報から読み取ることをヴィジュアルツリーアセスメントといったする。要するに外観から樹木の診断をするときなんかに。


そういうのって、わかりやすく言うと、その木が生きてきた“履歴”なんですよね。
傷も、癖も、全部ひっくるめて、その木の「味」になる。
……って、木に対して“味”とか言うといきなり素人っぽくなるけど、そんな感覚。


■ 見せるための剪定、育てるための剪定

日本庭園って、木を“見せる”ことに全力なんですよね。
特に透かし剪定とか。枝葉の密度を均一にし、目で楽しめるようフラクタル構造を強調するような剪定が多い。

たぶん、リズム感とか奥行きを出すためなんだけど、
これってよく見ると、テーパー構造が無視されてたりする。

それでも、美しいっちゃ美しい。
なんというか、「人の手が入ってる美」ってやつです。

一方で、最近欧米や街路樹なんかで注目され始めてる構造的剪定ってのは、
どっちかというと「見た目」より「骨格重視」って感じ。

枝ぶりはちょっと地味だけど、構造がちゃんとしてて、事故も防げる。
こっちは**“育てるための剪定”**って言ったほうが近いかも。

美しさと安全性――

両立できたら最高だけど、すでに何年も時には何百年も昔からある庭の中の樹木って、そううまくはいかないのが現場なんだよね。


■ 美しさは“距離”で変わるかもしれない

で、最近ふと思ったんですけど――

木の美しさって、「見る距離」で求められるものが変わるんじゃないか?って。

たとえば、近くの木。
庭の中にある木って、剪定跡とか枝の流れとか、ぜんぶ見えるじゃないですか。

そこに人の手が入ってることもわかるし、人の手が入っていますよというのも一つのステータスであったりする。
長年手入れされてきたんだなあっていう、“記憶”みたいなものが染みついてる。

逆に、遠くにある木――
たとえば借景の山とか、神社の奥に立ってる高木とか。

そういうのって、枝先までは見えないけど、全体の構造の安定感が求められる気がする。

つまり、近くは記憶、遠くは構造

木って、場所によって“求められ方”が違うんじゃないかなって思ったんです。


■ まとめると、こんな感じかも

木の美しさには、いろんな要素があるんだけど――

きっと「これが正解」ってものじゃない。

記憶の痕跡も美しいし、構造の強さもまた美しい。
見る側の位置や、空間の役割で、美の質が変わるんだと思う。


近くの木には、記憶がある。

遠くの木には、構造がある。


そんなふうに思えるようになったのは、

剪定や伐採の現場で、高い木や低い木と“距離”を取りながら向き合ってきたからかもしれません。


■ 次回は…

今回はちょっと抽象的な話になりましたが、

次回は、触れた「構造的剪定」についてもう少し掘り下げてみたいと思います。

伝統的な剪定とどう違うのか?

構造って、そもそも何を整えるのか?

――そんな話になると思います。

気が向いたら、また覗いてもらえたらうれしいです。


おわり